群馬県前橋市の橘神社内にある『福守大明神』にお会いしてきました。中央のラスボス級を筆頭に、夥しい数の奉納物(チンコ)の数々。以前訪れた際はムービーを撮っていなかったため、二度目の訪問です。
橘神社の入り口。参道自体はもっと先から続いているらしいです。『福守神社』と『雷電神社』の案内板があるのは、扁額が橘神社なので、福守様目当てで参拝した方にとって紛らわしく感じるためでしょうか。前橋が製糸で繁盛していたころは花柳界の信仰厚く、遊女たちが商売繁盛や性病除けの願掛けに大勢参拝していたらしい。今は子宝祈願や子孫繁栄の神様になっていますが、令和の今も多くの信仰を集めているのかなと思います。
拝殿と扁額。宮司さんが書かれたようですが達筆ですね。不覚にも写真を撮り忘れていたのですが本殿は裏手の山の斜面に建っていて、少し面白い構造になっていますのでこちらも必見。で、その更に奥に福守神社などが入る三社神社が有ります。
拝殿の裏山へ続く参道。山と言っても拝殿のすぐ裏手にある鎮守の森といった感じで坂道もゆるいので楽勝です。鎮守の森に続く鳥居って何だかワクワクしますね。案内板の手作り感と配色も素晴らしい。
少し登れば三社神社の建物が見えてきます。中には福守神社、雷電神社、水分(みまくり)神社が合祀されています。
三社神社の左手奥には、末社の皆さんがズラリ。少林山、水神宮、愛宕神社、天神様、菅原神社、琴平神社、石尊宮、粟島神社、大山祇神社、金加羅山宮、厳島神社、金山、道祖神とよりどりみどり。格式もルーツも様々な神様が、小さいお家に入ってまとめられてるのが何とも可愛い。
三社神社の案内板。水分(みまくり)神社は霊験は案内板の通りで明治四十年にこの神社に合祀されたのですが、元々、日本武尊が東征の途中で弟橘姫を偲んだという伝承が残る橘山に有りました。その謂れからか、他所から来たのに元々の八幡神社から橘神社に改称されてしまいました。
あと雷電神社に関してですが、群馬県の板倉町に総本社が有り、所在地は北関東が中心。群馬はじめ北関東の雷発生率の多さを物語る神社です。ちなみに群馬県や栃木県の一部では、雷のことを雷様(らいさま)と呼んで畏れ敬っているらしいです。
お待ちかねの三社神社の内部。福守神社のチンコ奉納物が目を引くのはもちろん、雷電神社の奉納物である草鞋もたくさん納められていて圧巻です。草鞋奉納といえば足腰平癒や旅の安全祈願が思い浮かびますが、雷除けとは興味深いですね。
手彫り感あふれる奉納物はほとんど木製で、大小様々。石製のものは座りが悪く壁に立て掛けてありました。ちなみに奉納物は祈願のときに1本借りて、成就したら2本に増やして返却するという、チンコ神社にも良くあるポケットビスケッツ方式。
戦時中に淫祠邪教とみなされて禁じられ、一時期よりは廃れているようですが、脈々と信仰が続いているようで感慨深いです。よく生き残っていて下いました!
そしてこちらが御神体のお姿です。黒々としたずっしりボディ、神の依代を表す注連縄を着けて迫力十分で、チンコ界の横綱といった貫禄ですね。御神体のルーツには諸説ありますが、いずれも洪水のとき等に川をドンブラコと流れてきたのを祀ったらしい。こんなでかくて重いものが川を流れるなんて相当の大水ですね。永遠に川底に沈んだりしなくて良かったです。
ちなみに横の雷電神社の名前を聞いて思い起こすのは江戸時代の最強力士『雷電』ですが、上述の通り雷電関とは関係ない上に雷電は横綱になれなかったんだっけ。まあいいです。周りのその他の神様や奉納物たちも、御神体を恭しく見守っているようで素敵な情景だと思います。
ちなみに御神体のすぐそばに、かの有名な若宮八幡宮『かなまら祭り』のエリザベス女王、宮出しの瞬間を捉えた写真が奉納されていました。同じ「チンコの神様界」の超有名人へのリスペクトからだと思いますが、エリザベス神輿のこんな寂しい写真は初めて見たような気がします。。以上、橘神社の福守大明神のレポートでした!
住所 群馬県前橋市田口町甲461
駐車場 境内に数台駐められます
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