利根川沿いの珍石集中エリアに鎮座する石神神社。巨大なご神体を埋めて作られたと伝わる、塚の上の本殿。その本殿を取り囲むように奉納された、男根状の石棒たちを参拝してきました。
訪問時に神社の裏側へ車を駐車したのですが、本殿の裏側から見上げると、すでに何かいる!石棒や金精様の探索をしていてよく経験するのですが、神社やお寺に到着した時点ですでに石棒が見えている状況に、いつも不思議な感動を覚えます。
鳥居の方向に回り込む際にふと旗竿保管庫に目をやると、ここにも何かいるッッ!
君は隠れミッキーか!珍石探しって油断できませんね。
気を取り直して、神社正面の鳥居から一礼して入りなおします。扁額には「石神社」の文字が。同じ漢字が続くから省略しちゃったのかな。
こちらが拝殿。拝殿の扁額も「石神社」ですね。こういう省略の例が他の神社にもあったかと思いますが何処だか忘れました。。拝殿の中には奉納されたお酒がビシっと並んでいます。
神社の創建は江戸時代後期の享和三年(1803)。祭神は大日比谷維奈尊者(オオヒビヤイナノソンジャ)とも石凝姥命(イシコリドメノミコト)とも言われます。詳しくは分かりませんが、石棒の形から子孫繁栄のご利益に結びつき、現在の形に至ったようです。
問題の石棒軍団がいるのは、拝殿裏の小さな丘の上の本殿周りです。この地形は元来のものではなく、前述の石棒(ご神体)を土中に埋め、祠を建てたことによる地形です。
拝殿の前に、2本の金精様が狛犬のように配置されています。インパクト大ですが、実はこうした配置は各地に見られるもので特に珍しくはありません。
狛チン例 その1 狛チン例 その2
しかし立派な男根様ですね。ずっしりとして風格が有り、撫でられすぎて黒ずんでます。かつて巨大なイチモツ像や大きな草鞋を村落の境界に祀ったのは、「こんなすごいの持った大男がウチトコの集落にいるよ!悪さしたら知らないよ!」といった感じで悪人や疫病の侵入撃退の意味合いもあったとか。
狛犬も神社の守護がお仕事ですので、この配置は理にかなっていますね。あ、何度も言いますが奉納物への悪戯はダメ絶対!特にこの神社はあの将門公案件ですし、神罰てき面で自分のがもげちゃっても責任取れませんよッ!
そして圧巻なのが、拝殿をぐるりと取り囲む大量の男根型奉納物(石製・木製)の群れ。優に40本くらいあるでしょうか?ご神体の入った拝殿を取り囲んで見守る姿が、もののけ姫に登場する木霊のように見えてきました。石棒に目が行きがちですが、向拝柱や襖の彫刻も見事です。
もしかして旗竿保管庫にポツンと居た一本は、ここから何かの拍子で落っこちて骨折しちゃった子なのかな。位置関係的にも有りうる。。
で、例に漏れずこれらの奉納物は子授けや安産の願いを込められており、以前は花柳界からの信仰も篤く遠く東京からも参拝者がいらしていたとか。年代の古い物の中には、当時の遊女や水商売関係者が、商売繁盛や性病平癒などの目的で奉納したものが有るかもしれませんね。
ガッチリと鍵のかかった拝殿の扉。この中にご神体がいらっしゃるのかな。ご神体は下に埋められている筈ですので、もしかしたらその先っちょが床を突き破ってコンニチワしてたりして。ちなみにご神体の長さは一丈二尺すなわち約3.6メートル。この盛り土の高さがだいたい3メートルくらいなので、高さ的には丁度良いかも。
毎年例祭も行われているようですし、そのときはご神体が御開帳される可能性も有りますね。またひとつ楽しみが増えました。ご神体を埋めた理由は分かりませんが、何か恐ろしい言い伝えでもあったんでしょうか。もしくは、有事の際にトライダーG7みたいに飛び出して戦うために、地中でパワーをためているのかもしれません。
さて帰ろうと車へ戻る途中、石塔の並びにふと目をやると、まだ何かいるッ!!いや、五輪塔の先っちょか何かだと思うけど。。こういう探索してる方は思い当たると思うんですが、目がいわゆる『チ〇コアイ』になってて何でも男根に見えてしまうんですよね。気を付けましょう!
以上、茨城県守谷市乙子「石神神社の石棒軍団」参拝記録でした!
所在地 茨城県守谷市乙子427
駐車場 乙子集落農村センター前に駐車スペース有り
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