箱根南麓の、温泉と桜と謎の猫踊りの町、函南町(かんなみちょう)にある「養徳寺」の境内。そこに佇む4本の石棒たち。縄文時代の遺跡から出土した呪物たちを拝観してきました。
臨済宗円覚寺の末寺、養徳寺の山門と本堂。本堂前には枯山水の石庭が有ります。境内も伽藍も掃除が行き届いて美しく、全体にシンプルで簡素。冬の澄んだ空気と相まって、思わず深呼吸したくなる独特の空気感。これこそが禅の教えといふものなのでしょうか。。
創建は嘉慶元年(1387年)、安永六年(1777年)に火災で焼失しましたが寛政元年(1789年)に再建。写真は焼失前のお寺の屋根に乗っていた鬼瓦で、本堂の左横にズドンと佇んでおります。その巨大さから、当時からかなり立派なお寺だった事が伺えますね。
丘の上の墓地へ続く参道の脇、宝篋印塔の向こう側。並んだお地蔵様の裏側に石棒が3柱。「石棒」とは縄文中期以降に作られた石器で、その男根に似た形状や出土場所の傾向から、何らかの祭祀や儀礼で使用された可能性が高いとされています。養徳寺の石棒も、鬢ノ沢(びんのさわ)遺跡から出土したと伝わる縄文時代の遺物です。
こちらが養徳寺の石棒です。情報では石棒4本だったのですが、3本しか見当たらず。基部にもう1本存在していたような痕跡がありますので、根本から折れたか紛失してしまったのでしょうか。昔は4本が綺麗に揃って並んでいたのかもしれませんね。
最も男根らしき形状を留めているものも、先端部分で折れて修復された跡があります。他の土地の石棒にもよく見られる特徴ですが、サオの部分が非常に長く、エノキダケのような形状ですね。
縄文時代といえば少なく見積もっても2300年前から、古くは13000年前まで遡る太古の昔。そんな時代の貴重な遺物がむき出しでそそり立っているのは勿体ないような気もしますが、その反面、気兼ねなく触れたり鑑賞したり出来るので有り難くも思います。縄文の息吹きを感じるため、さっそくスリスリ。。
こうして石棒をじっと眺めていると、遥か縄文時代と繋がれるような気がして何やら不思議な気分になります。当ブログではこちらの石棒を性信仰のカテゴリに含めておりますが、石棒のルーツは果たして男根崇拝に有るのか。それはあまりにも時代の隔たりが大きく、解き明かすのは非常に困難でありましょう。しかし現代において縄文時代の石棒が、子孫繁栄や五穀豊穣の意味合いで祀られている土地が有るのも事実。
というわけで私は学者さんや研究者ではございませんし、「石棒」は「太古のチンコの神様!」と個人的に認定させて頂きます!
住所 静岡県田方郡函南町平井1126 養徳寺
アクセス JR東海道線函南駅より徒歩 約20分
駐車場有り 数台駐車可能
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