千葉県佐倉市臼井『印旛姫之宮の金精様』

千葉県佐倉市印旛沼のすぐ近く、住宅地を抜けた丘の上に鎮座する『印旛姫之宮』。その境内に、空豆みたいな可愛い男根石がひっそりと祀られていました。

所在地は佐倉市臼井。住宅地を抜けた丘の上に小さな市民農場のような区画が有り、作業中の地元の方に場所を聞いて、やっと辿り着きました。実は以前探索した事があるのですが、姫の宮は道のどん詰まりの少し下った場所の死角に有るためその時は発見できなかったのでした。教えて頂いたおじさんに感謝です。

『印旛姫之宮』全体を正面から見たところ。場所が場所なだけに、存在を知らずに偶然訪れる人はほぼ居ないだろうと思われます。

神社名の入った石塔。裏側から見ると『櫻之宮』と書かれていますが、これは『佐倉』から来ているのでしょうね。

『印旛姫之宮』は、昭和30年の印旛沼山荘落成に併せて、山荘側に創建されました。社殿は佐倉城址にあった鹿島神社の社の払い下げを受け、ご神体は印西市の松虫寺から勧請されたもの。祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)です。ちなみに宅地造成に際し現在の場所に移設され、現在の社殿は2代目です。

境内の石造物。左は印の形と王冠からして大日如来かな。右は元々この地に有って姫之宮創建と共に合祀された山王様。地元では天神様と呼ばれており、微かに「天神」の文字が見えます。

小さな社殿とその内部。ご神体の鏡が置かれ、正月のお供え物が飾ってありました。地元の方の信仰が続いているようでほっこりしました。

そしてこちらがお待ちかねの珍石です。正面から見るといかにもな男根型ですが、それほど人工的にも見えないので自然石かなと思います。

資料によると、御本体は古来より印旛沼沿岸の住民の間で印旛沼の守護神、五穀豊穣、安産子育ての神として祀られた。佐倉城築城以降は城内の女性が縁結びと殿の寵愛の願を掛け、熱心な信仰があったとされます。

横から見たお姿は空豆というか繭みたいでなんとも可愛いです。もう一つ特筆すべきは、舟形の台座というか水鉢のようなものに乗っかっている点ですが、私はこの形が女陰を示しているのでは。。と考えています。これらがセットで「印旛姫」と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

ちなみに『姫之宮』といえば有名な犬山市の大縣神社や甲府市の夫婦木神社が思い浮かびますが、どちらも子孫繁栄や子授けの神様で女性の守護神ですから、この神社もその名称にあやかって名づけられた可能性もありますね。

で、珍石をよく見ると、縦方向にガッツリとひび割れているのが分かります。横方向に割れてるのは良く見るのですが、これだけ綺麗に縦に割れてるのは珍しい。このままですと先日割れた那須の殺生石みたいに真っ二つになるかもしれませんので、参拝はお早めに!

以下、印旛沼山荘発行『印旛姫参拝の栞』より抜粋

例祭は8月15日。当日は同じく15日が大祭である佐倉市太田の熊野神社 通称熊野の権現様の御姿が届けられると同時に姫の宮祭礼神前の儀がとり行われる。当夜は全面の印旛沼も火の海と化すばかりに大花火が打ち上げられ、近在の善男善女数万が集い「姫の鈴」は夜通し妙音を立て続ける。。

話が若干盛られているような気もしますが、夜通し妙音を立てる「姫の鈴」、、想像を搔き立てる名文だと思います。また姫之宮は印旛沼の花火大会の「晴天祈願のために創建された」という情報も有るのですが、これを読むと頷ける部分があります。

それに上記の「太田の権現様」と言えば私も3回くらい参拝していますが、男根奉納物のブツ量においては千葉県最強を誇る聖地。ご神体が勧請された松虫寺にも男根像が見られますし、こうした神社同士のつながりも実に興味深いところですね。

以上、千葉県佐倉市臼井『印旛姫之宮』の参拝記録でした!

なおこのたび情報を頂戴しました佐倉市教育委員会文化課文化財班様に、心より感謝申し上げます。

(参考資料:臼井・千代田百科事典)

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